2018年2月28日水曜日

日本語ってやっぱきれいだな

「2月半ばのあの寒波もここ数日の小春日和により忘れてしまいそうです。」

知らなければついつい使ってしまう「小春日和」なのですが、この使い方に間違いがある。

小春空、小春凪といった言葉がありますが「小春」とは晩秋から初冬にかけての暖かい日和のことを指すそうです。なのでこの時期のポカポカした陽気に「小春日和」と表現するのは間違いとなり、この時期に用いるのであれば「小」を付けづに4月の季語でもある「春日和」が適当ではないかと思います。

調べてみれば他にも「敷居が高い」「御の字」「琴線に触れる」等間違って使っていた言葉がたくさんありました。

詳しくは下記のサイトをご覧ください。
実は間違っている??日本語の使い方クイズ

「木漏れ日」って言葉がありますが、この言葉の情景を一言で表現できる言葉を持つ外国語は日本語だけだそうです。

日本の言葉ってやっぱりきれいだな。

2018年2月27日火曜日

埋める

ここ半月あまり2~3日遅れでブログを更新している。更新といっても起承転結もなく穴埋めをするがために文字を埋めているだけである。まっそれでもいい。目標は12月31日まで埋め続けることだ。

月末を目の前にして、やっと今日に追いついた。やれやれ先は長い(笑

2018年2月26日月曜日

探しもの

探し物が見つかった。
探しても探しても見つからず、諦めた時にフッと見つかる。そんなことが多々ある。

果報は寝て待てってやつなのかな。それとも努力っした結果なのかなのか、よくわからない。それが偶然なのか必然なのか、よくわからない。それが現実であるのは間違いない。

まっ、とにかく見つかってよかったのだ。

2018年2月25日日曜日

受け入れる

幸運と不運。この分け目なんなのだろう。
棚から牡丹餅。泣き面に蜂。何に支配されているのだろう。

なんてことは、不調な時にしか考えないことなんだよな。

2018年2月24日土曜日

意地

意地になって失敗するときもあるけれども、意地を通さなければそれまでの苦労が報われないこともある。


2018年2月23日金曜日

まさか

だれもが「まさか」とおもうところには、思わぬ幸運が鳴りを潜めている。かも?(笑

幸運の「まさか」になるか、不運の「魔の坂」を転げ落ちるか。

今日も一日、我に幸運あれ。

2018年2月22日木曜日

遅れ遅れでも書く

1月を無事更新でき2月は意識がダレ気味だ。いや完全に緊張感ない。

それでも、遅れ遅れでも書く。12月31日に乾杯できるように。

2018年2月21日水曜日

歩いてゆく

「しあわせは 歩いてこない だから歩いて ゆくんだね」

そうなんだよな。「ワクワクすることは歩いてこないだから歩いてゆくんだね」なんだよね。

ブログに書く記事がないと嘆いているのは「歩いていない」からだと再確認。

2018年2月20日火曜日

雲雀と土筆


雲ひとつない青空から届く雲雀(ヒバリ)のさえずりを一年ぶりに聞きました。

お日様の暖かさに、重ね着していた服を一枚脱ぎ、2枚脱ぎ、額にはうっすらと汗、春一番が吹いて以来随分と春という感覚が近くなったものです。

もしやと思い仕事帰りに土筆を探してみましたが、土の中の彼らには青空から聞こえてくる春の知らせはまだ届いていないようでした。

2018年2月19日月曜日

誕生日プレゼント

フク5歳の誕生日です(以前のブログがとんだんで定かでないが)

フクの大好きな豚足。コラーゲン8000㎎で毛艶もテカテカのはず。


ものの2分で一袋ペロリ。食欲旺盛おおいにけっこう!

2018年2月18日日曜日

明日は休みになーれ

明日、月曜日は天気予報では一日中雨。

明日の仕事(工事屋さんの手伝い)は休みになれいいのになと思いながらも、もうすでに休み前提で予定を組んでいる。

明日の朝一の電話(今日は休みだという連絡)が待ちどおしい。

2018年2月17日土曜日

カーリングとテレビゲーム

wikipediaにとると
スポーツとは、一定のルールに則って営まれる競技のこと。フィジカル(肉体的)スポーツ、インテリジェント(知的)スポーツ、テクニカル(技量的)スポーツといった伝統的な分類のほか、近年ではローケーションに注目したマリンスポーツや、道具に注目したイー(電子的)スポーツなどの新しいジャンルが開拓されている。一方で競技的要素を含まない体験や行為については、アクティビティとして明確に区別されるようになった。

そういうことね。なんとなくわかる。

ようは、カーリングがスポーツなのかゲームなのか疑問に思ったのだが、カーリングはインテリジェントスポーツに分類されるわけね。だとすれば“テレビゲームもスポーツ”ではないのかという疑問を抱いてしまう。

さらにwikipediaにとると
ゲーム(英: Game)とは、勝負、または勝敗を決めること。守るべきルールがあり、環境または他人との相互作用を元に行なわれる活動である。邦訳ではプレイ(英: Play)と混同され遊びや遊戯の言葉が当てられることが多いが、英語圏では明確に区別されている。
そういうことね。なんとなくわからない(笑

テレビゲームとカーリングの違いは、競技するフィールドの違いだけなのだろう。
カーリングが凍った氷上でさえあれば、川であろうと湖であろうと(仮にこれを公の空間だと仮定する)場競技できるのに対して、企業が営利目的で開発したゲーム空間は、けして公の場とは言えない。
一企業の利益を誘導するようなものはスポーツと定義することは難しいということだ。

逆に、フリーのゲームが爆破的に世界的規模で人気を博し、継続的にゲームされ続けたらこれはスポーツなのだという理屈になる。

笹川スポーツ財団の記事によると
手元にある国語辞典によれば「陸上競技、野球、テニス、水泳、ボートレースなどから登山、狩猟にいたるまで、遊戯・競争・肉体的鍛練の要素を含む身体運動の総称」(広辞苑第六版)、「余暇活動・競技・体力づくりとして行う身体運動。陸上競技・水泳・各種球技・スキー・スケート・登山などの総称」(大辞林第三版)とある。
言ってしまえば、余暇を利用した身体を使った活動であり、そこに「競う」という要素も含まれる。さらに「遊戯」つまり「遊び」が例示されていることに着目したい
中略
   スポーツが日本に“輸入”されるのは、主として明治時代初期であった。ただ、確かに身体を使う活動、競技的な要素はしっかり導入されたのだが、第一義の「遊び」の要素は切り捨てられたといっても過言ではない。
たしかにそうなのだ。試合は勝つか負けるかであり、試合を楽しむという感覚は昭和世代には希薄だったかもしれない。

詳しくは笹川スポーツ財団のHPをみてください。
https://www.ssf.or.jp/default.aspx

そう考えると、「ダルマさんが転んだ」もインテリジェント(知的)スポーツとなるわけだ。


2018年2月16日金曜日

春の気配

春一番も吹き、ひと雨ごとに暖かくなってく時期だ。今年は春一番後の大潮が3月2日であるが大潮が小さい。

なぜ潮の話かというとメカブを採りに行くのだ。

タラノメ、メカブ、タケノコ、もうすぐ春がたくさん食べられる。

2018年2月15日木曜日

備忘録その3”民意”

youtubeのリンクを辿っていたらこんな動画を見つけた。
リーガルハイという過去の番組のようだ。ここでは民意ということにスポットが当てられていた。


動画中 00: 42
「人は見たいように見、聞きたいようにきき、信じたいように信じる」

わたしたちは自分の意図するところを満足させてくれる情報を収集することに勤しむ。マスターベーションン始まりだ。

動画中 02: 25
「民意なら何もかも正しいんですか?」

このドラマ全体を観たわけではないのでドラマ中で民意がどうやって形成されていくのかは不明だが、大まかな流れは見当がつく。

権力→マスコミュニケーション→市民 という民意の誘導パターンなのだろう。

動画中 04: 33
「民意なら正しい、みんなが賛成していることなら全て正しい、ならばみんなで暴力をふるったことだって正しいわけだ。冗談じゃない、冗談じゃない!」

世界で起きてきた、または起きている戦争。息を潜め理不尽強いる虐め。見て見ぬふりをするという合意。

動画中 05: 15
「本当の悪魔とは巨大に膨れ上がったときの民意だよ。自分を善人だと信じて疑わず、薄汚い野良犬がドブに落ちると一斉に集まって袋叩きにしてしまう、そんな善良な市民達だ」

あれだけ民意からバッシングを受けた公共工事も大災害(水害・地震)が頻発する近年では、インフラはコンクリートで構築されていること、生命財産はコンクリートで守られていることを広くに知らしめる結果となり建設業の存在を再確認してもらえる機会ともなった。
「コンクリートから人へ」民主党政権を誕生させたのも選挙という民意の結果だ。湾岸戦争もアメリカの民意が世界中を巻き込んだ。

動画中 06: 54
「判決を下すなら断じて国民アンケートなんかじゃない。我が国の碩学であられるたった5人のあなた方です。どうか司法の頂点に立つ者のの教示をもってご決断ください」

この動画の備忘録として最後(↑)の台詞にわたしなりのフィルターをかけてみると。

「民意を形成付けていくモノは断じてワイドショーコメンテーターの発言や報道番組の方針なんかであってはいけない。悪魔と対峙することをも厭わない、あなたの勇気をもってご決断ください」となる。

2018年2月14日水曜日

ズルします

今は2月18日です。まさか14日のブログを飛ばしているとはおもってもいませんでした。今気付きました。

たまにはこういうこともあります。気付いた時に何とか軌道修正する。これでいいのだ。
ズルしてもいいんです。やるぞ毎日更新!


2018年2月13日火曜日

ボトル人生、起立、気を付け、礼。着席は無し。

ジョニ黒をロックを注文する。最近はいつもこれだ。
酒はグラスに注がれ目の前へとやってくる。同時にボトルもポンと正面に置かれる。バーではよく見る光景だ。
酒はボトルをながめるのも楽しい。ボトルの形状、ガラスの色や装飾、ラベルをながめて楽しんでもらうという配慮なののかな。

バックバーにはいろんなボトルがギュウギュウ詰で並んでいる。こいつらは空きビンになるまで ”起立”して直立不動の”気を付け”、グラスに向かって”礼”と、”着席”は無しのほぼ立ちっぱなしのボトル人生なんだよな。

今宵はジョニ黒が空いた。立ちっぱなしのボトル人生お疲れ様でしたと空いたボトルに敬意を払う。

暫しの間横になってていいよ。


寝かせてはみたもののボトルは立ち姿がカッコイイよかった(笑

2018年2月12日月曜日

肩甲骨師

「肩甲骨師」とはわたしがつくった造語であり敬称でもある。

首の付け根から肩甲骨周りにかけて筋肉の”張り”のようなものに悩まされる。ちょくちょく合間をみてストレッチをやってはいるが、この”張り”のようなものに集中力を奪われるほど辛い時がある。こんな時は堪らずマッサージに縋っていた。

”縋っていた”そう、悲しいかな過去形なのである。”揉みほぐす”という表現が的確であるかはわからないが、わたしの肩甲骨周りをこの上なく丁寧に揉みほぐしてくるれていた肩甲骨師(わたしは彼女に敬意を表してこう呼んでいる)が退職され2年くらい新たな肩甲骨師を探す流浪の民となっていたのだ。

そして今日やっと新たな肩甲骨師見つけられたような気がする。

この肩甲骨師は男性にも劣らぬ力強さと肩甲骨周りの揉み方のバリエーションの多さで抜きん出ている。揉んでもらっている最中に「そこ、そこなんですよ」とわたしが声を漏らすほどだ。いろんな体位・角度から攻めてくれる。そして的を得ている。マッサージ後の脱力感、心地よい疲労感、久しぶりに味わう「揉み返し」に火照る。

そして何よりも彼女の言った一言にやられてしまった。

「むぅー肩甲骨が出てこない」

なんと素晴らしい愚直な表現だ。この一言にわたしはやられてしまった。

2018年2月11日日曜日

ルールその1

11日と12日を今現在飛ばしている。ここで何とか踏ん張っておかないと、穴をあけてしまう。

書けない時は書けないものだ。そんなことは百も承知なのだが、これはこれでかなり滅入る。今日一日何も感じなかったのか?、何も動かなかったのか?このことと何時も向き合っていかなければ毎日更新なんてできはしない。

ここでブログ更新ルールの説明。

ルールその1
当月月末にブログ内カレンダーの数字がハイパーリンクで全て埋まっていればそれで良しとする。

終りよければ全て良しということだ。
ということで11日分のブログを13日に更新。

2018年2月10日土曜日

冬の案山子(かかし)

女の涙は覚悟の涙。
男の涙は溢れてくる涙。

夜の街、雑踏の中立ち止まって女の人が泣いていた。
雑居ビルのエレベーターの前、支えられるようにして女の人が泣いていた。

涙で焼き付いた残像を滲ませてくれたらいいのにね。

想うことを忘れ、熱さから冷めた今のわたしは田んぼに取り残された冬の案山子()のようだ。

冬の案山子にギターをあげよう。歌を忘れないように。

明日のために飯を食おう。

2018年2月9日金曜日

リアルにへこたれて、へこたれた

カキ板もって埋戻の敷均し担当、しかも一日中、さらに明日も(たぶん)(泣

土木屋さんならわかると思うが、1000×1300の柵渠の埋戻作業でありユンボで投入された土を30cmの厚さに人力で均していく作業なのだ。
詳細を説明し始めるとキリがないので脚、腕、握力、腰、まーそれは全身使った作業であり、これを一日中やってたのだからかなり”へこたれた”

前置きが長くなったが今日のキーワード”へこたれた”がやって出てきた。

”へこたれた””へこたれる”最近はあまり使わなくなった言葉だが、今日はリアルに”こたれて、へこたれた”のだ。

”へこたれる”には諸説あるようだが、”へこ”はフンドシ、たれるは”垂れる” 要はフンドシがずれおちる様を言い表しているのだと思った。

力仕事をしている際に全身で力むと腹筋辺りの筋肉も伸縮し力を絞り出す。この筋肉の伸縮が続く作業をしていると”へこ”がずれ下がってくる、きつい作業つ続く→へこがたれる→”へこたれる”となるわけだ。

今日はリアルにへこが垂れた。”へこ”といってもヒートテックのアンダーパンツのことなのだが、これがずれ落ちてくるだよな。作業は超キツイわで”へこたれて”、パンツはずれ落ちてくるわで”へこたれた”わけだ。51歳になってリアルに”へこたれ”を味わえた。

ほんと今日はキツかった。明日も”へこたれて、へこたれた”になるわけだが、お金もらって体鍛えられるんだからこれってお得だよね(笑

なにげな明日は一日中雨の予報、社長には悪いが、「明日は雨ジャンジャンで休みになーれ」連休が欲しいのだ(望

2018年2月8日木曜日

平常に近づく

日曜日からだ。最近のわたしにしてみれば異常なくらい寝ている。

一つは風邪を引いたということと、ブログを書くのもひと月が過ぎ毎日更新というストレスに慣れたのもあるだろう。

さて今週もあと2日、日曜日には靴を磨こう。

2018年2月7日水曜日

失敗は笑えるが後悔は笑えない

「口は災いの元」ってことわざを身に沁みて教えられたことがあった。もう随分と昔の話である。

わたしはこれといって自慢できるものはないが、足首の靭帯損傷した時に整形外科の先生に「こんな太い骨は初めてみた(笑」と言われたことと、小中皆勤賞というくらいがプチ自慢だったのだが、こらが少しばかり仇となり会社の飲み会で「ズル休みはしますが病欠では休みません」なんて馬鹿な若気の至り、世間知らずの極めを言ってしまった。

飲み会の後日聞いた話だが、先輩の奥さんに病気がちで欠勤が多く、ついには退職に至ったということを聞いた。

こんなわたしも52歳。何時何時何があってもおかしくない年齢に近づいている。煙草は吸う、酒は飲む、夜更かし、腹一杯大好き。煙草をやめて酒もやめて夜更かしもせず腹八分目そんな生活をするのかできるのか?

人は人それぞれの今を持っている。今が違えば選ぶ道も違う。
時々の後悔はあっても人生の後悔ってあるのだろうか?あるよなきっと。
でもそれを笑い飛ばせるような後悔の後でありたい。と思う今である。

2018年2月6日火曜日

2000Calよこしやがれ

今日の最高気温3℃ということだが、この気温だけだったら大したことはない。現場は有明海に面した水田地帯。海からの風を遮るものがないのだ。
この海風が半端ない。推定風速10m、この風速と気温3℃では体感温度は何度になるのだろうか、九州は熊本育ちのわたしにはわからないが、こんなにも寒い目にあったのは記憶にないほどだ。
とにかく敵は午後から吹き荒れる海風だ。今週中盤まではこの風との闘いのようだ。

そんな中、今日の作業終了。両手両足の指先が痛いを通り過ぎて感覚がなくなりそうだ。休憩所のストーブ全開、離れられない。風邪をひきたての体にはこたえた。


誰もいない休憩所、暖を取るわたしに何処からともなく声が聞こえてきた。「2000Calよこしやがれ」
天の声にしては荒っぽい。かといって周りには誰もいない。「とっとと2000Calよこしやがれ!」一段と荒っぽい声がまた聞こえてきた。

ピンときた。わたしの体中ではいま戦争が勃発しているようだ。敵は病原体風邪軍。対するは治癒軍、こいつらはわたしのために戦ってくれている。この治癒軍がわたしの言葉を借りて脳に援軍を求めている。戦力があと2000Cal足りないと。

わたしはこの手のメッセージには敏感であり、素直に従う。従うことが最優先事項である知っている。帰宅途中、早速ジョイフルのハンバーグダブル400g和食セット、これで1600Cal、あと400Cal足りないのでアイスぜんざいのようなもの420Calを追加で注文してあげた。

「2000Calの援軍は送ったぞ、敵軍を全滅させてくれ! 必要とあらばあと1000Calは夜食で用意できる、あとは任せた!」

「了」

なんてね。後半の会話はないのだが(^^;)体がエネルギーを補給できたのは間違いない。

腹が減るとは戦う意思だ。そうだ明日のために食べるのだ。

2018年2月5日月曜日

フクと一緒:待つ

熊本には竹輪サラダなる食べ物がある。多分熊本の男で食ったことのないヤツはいないはずだ。ソールフードですね。

FBをながめていたら竹輪サラダの投稿があった。そりゃ食いたくなるよね。ということで夜、買い物ついでに竹輪サラダの売ってある「おべんとうのヒライ」が店舗として入るスーパーへ。残念ながら夕方遅かったため人気商品ゆえに売り切れ。仕方なくカツ丼と食って、レーバー炒めと白御飯を夜食用に買う。


カツ丼食って買い物を済ませる間、時間にして30分程度フクはリヤカーで待つのだ。前にも書いたがゴーグルをつけている間はリヤカーを降りてはいけないと教えている。

訓練当初、ドキドキの5分、物陰に隠れて見守っていた10分、飯を食べる間フクのことが気が気で料理を味わう余裕もなかった20分、最近は30分の訓練をクリアするためにわたしが時間を潰して待たなければならないという逆転現象である。

30分待てれば大抵の用事は済ませることができるので「リヤカーで待つ」の訓練は終わりとします。

人間のご都合で訓練されるのだから犬にとっては理不尽なはなしかもしれないが、それが犬として生まれてきた定めかもしれない。
犬が生活の場とするのは人間社会である。その社会の中で犬は、盲導犬、介助犬、警察犬、災害救助犬と様々な重要な役割を果たしている。もちろん家族の一員として癒しをもたらしてくれている。

アルベール・カミュは言う。
I have a very old and very faithful attachment for dog.
I like them because they always forgive.

私は犬に対してゆるぎない愛着を持っている。
彼等はいつでも、どんなことをしても許してくれる。そこが良いのだ。

犬が”人間を許してくれている”のか、”許さざるおえない”のか、それとも”許していない”のか、それははわからない。
それでも”許してくれている”とは思いたくない。

犬達にとって何が幸せなのか考え続けなければならない。それは自分自身のためでもある。

2018年2月4日日曜日

フクと一緒:朝の楽しみ

朝の6:30に起床したわたしは、7時にスタンドが開くのを待ち灯油を補充。そしてあとはひたすら寝る。

ワイドなショーを観ながら寝てた。なんでも鑑定団を観ながら寝てた。遅めの昼飯を食ったら寝てた。そこまで言って委員会を観ながら寝てた。

鼻水は出るが、頭はスッキリ、寒気も取れた。よし大丈夫。

よく寝たと我ながら感心っしている横ではフクが今だに寝続けているって、どんだけ寝れば気が済むのだろうか?

そういえばフクは自分の意思表示をするようになった。とはいっても大したことではない。
朝、仕事に出かけるときに部屋から出ようしないのだ。暖かい部屋から冷え切った玄関に移動させられるからだ。
朝の時間がない時にイラッとするが、呼び続けて来させるようにしている。これに3~5分かかる。

まず部屋を出る決意が必要のようだ。そして2階の階段の降り口で一呼吸おいてダラダラと階段途中の踊場まで降りてここでも一呼吸、ここで指示もしていないのにお座りをする。そして必ず欠伸をするのだ(イラッ)。ここからが長い。全く降りる気配を見せない時もある。何度も「フクおいで」と呼んでも踊場からわたしを見下し尻尾を振るだけ。それでも連呼し続けるとムスっとっ立ち上がり、トコトコと階段を降りてくる。

わたしは知りたい。ムスっとっ立ち上るタイミングというか、きっかけは何んなのかを。
この嫌がらせとも思える一連の行動が、もしかして「今日はこのへんで勘弁してやるか(笑」的な、フクの楽しみなのかもしれないと思うと、付き合ってやるしかないのだ。

休日は休む日だ

昨日のこと。
仕事が終わって帰宅。ここ2日くらいまともに睡眠をとっていなかったので取りあえず飯を食って寝た。

目覚めたのは23:10スッキリしているはずに頭がどうも重い。寝汗が冷えて寒気がすると思っていたがどうも違うようだ。悪寒に近い。鼻水も出始めた。鼻をかむ鼻血が出た形跡。とりあえず熱はない。

一夜明けて今朝、寒気は残るがとりあえず熱はない。インフルではなく普通の風邪のようだ。
原因は大方検討がついている。現場ではこの寒さに関わらず汗をかく。作業の途中、10時15時には休憩が入るのだがここで一気に体が冷えてしまう。これはにはちょっと危険を感じていた。
とくにキツイ作業をやっている訳ではないので休憩はいらないんじゃ?と社長に言うと「うちはブラックじゃなかけん(笑」と返してきた。
体が冷えて風邪を引くほうがよほどブラック思うのだが。言わんこっちゃない、わたしは風邪をひいた。

そんな今日は日曜日である。朝から雪が舞っていた。今年はよく雪が降る。

一日家に居る予定。休日は休む日だ。ダラダラとテレビを観よう。ダラダラとブログを書こう。腹一杯飯を食うおう。

2018年2月3日土曜日

フクと一緒:脱走

午前3時半ごろ目覚める。「ん、フクがいない」

脱走。玄関をロックするの忘れていた。でも多分その辺りにいる。近所をバイクで2、3周すれば気付いて追いかけてくるはず。

外は寒いし探しに行くの嫌だなあ。そんなことを思いながら煙草に火を着ける。寝起きなのでボォーとしている。
一階で物音。玄関のドアをガサガサと開ける音。階段を駆け上がってくる音。仕事部屋のドアノブが上下に揺れドアが開く。

尻尾ブンブン振ってフクの「ただいま」

「おかえり」

2018年2月2日金曜日

朝昼昼晩晩飯

田んぼの中の水路をつくってます。


昨日に引き続き、社長と一緒に掘削した水路の底にはいつくばり泥だらけになりながら水路のフレーム並べている。

作業中「大村  俺達は一応社長よね」という社長の一言に、二人して泥だらけのお互いを見合わせ爆笑。

朝8時から始まる作業もあっという間に時間は過ぎ、昼飯の時間になる。慣れない作業で気は使うし、肉体的にも体力はかなり消耗するのだろう11時を過ぎるころには胃袋が空腹を知らせてくる。
当然朝飯は簡単ではあるが済ませている。昼飯は2個弁(弁当2個)、惣菜を一品、そして飲料水をを買うのがパターン化している。とにかく食欲がモリモリなのだ。
午後からの作業は17時にはきっちり終わる。そして帰路につく頃には、昼に食った2個弁の記憶は胃袋から消え去り、帰宅途中に早めではあるが晩飯を済ませる。

今日は龍峰でラーメンとおにぎり。

 やはり、ラーメンは龍峰である。空腹感を満たし家へ孵るのだ。

帰宅後、こうやってブログを書き始めるのは23時過ぎ頃からである。晩飯らしきものを食ったのが18時頃、そのころから5時間も経つと腹も減る。そうなると、

こうなるわけだ。

とにかく体がカロリーを欲してくる。この要求には抗わない。仕事をするために食っているのだ。

食うために仕事をしているのか、仕事をするために食っているのか? まぁそんなことはさほど気にすることはない。

気になるのはそんなことよりも朝昼昼晩晩飯5食がほぼ外食となっていることに対するエンゲル係数である。


2018年2月1日木曜日

二通りの楽しみ方


20代後半だったろうか、DUCATからこいつに乗り換えた。398㏄日本仕様の赤タンク、サイドカバー黒、全く写真の4in1と同じやつだ。この4in1今では途方もない金額で取引されているようだが当時は36万くらいで買ったと記憶している。当然マフラーはヨシムラの手曲げを入れ、あとはドノーマルだったが当時レーサーレプリカのバイクが落ち目とはいえ全盛期であったので、4in1に乗ってると珍しさからかよく声をかけられたものです。

やはりヨシムラがカスタムするとカッコイイよな。外見の派手さはなく、ノーマルのスタイルを継承しつつ性能を確実にアップさせ、性能と同時に耐久性も上げてくる。部品一つ一つを丁寧に作り込むという会社全体が創業者であるPOP吉村こと故吉村秀雄から受けつがれている職人気質の社風なのだろう。
神の手を持つ男 POP吉村 -since 1923-

運転免許を飛ばしてしまい今は二輪には乗れず、これからも大型二輪の免許を取りに行くことはないだろうが、今乗っているモンキーをヨシムラのパーツで固めてみたいと思いながらも、それを実現するには小型二輪の免許が必要となるので、今は実現すればいいなと思っている程度ある。

この先モンキーを手離すことはないと思う。流行を追いかけ車種を乗り換えていく楽しみもある、そして流行に囚われず乗り続けていく楽しみある。今のわたしは後者である。

モノ全般の楽しみ方の使い方をそのように変えていきたいものだ。

それには作り手の思いのこもったもの世に出して欲しいと願う。