2018年1月31日水曜日

最初の一歩

「大村、暇なら手伝え」の一言から、今週も火曜日から関与先の工事屋さんの手伝いに出ている。8時に始まり5時には終わる。規則正しく過ぎてうれしくなるし、仕事(作業)のことだけ考えていればいいので集中できる。

問題はその仕事だ。「ちょっと役所行ってくるから丁張かけとって」「他の現場行ってくるけん、法線出しといて」「……墨出ししといて」「……出来形測っといて」「写真とっとかなんばい」これが指示です。説明なし(笑
図面みればわかるんですけどね。

でもこれが結構楽しいんですよね。いろんなことが勉強になる。測量はほぼ2人一組での現場作業なのですが、工事はいろんな専門職があって大人数で仕事をする。これは楽しい。

わたしはどこに属している訳でもないので、社長に言われた仕事以外、体が空いてるときには、人手が足りていなさそうな作業を見つけて割り込んでいかなくてはいけません。当然経験のない作業ばかりなので兄ちゃん達に教えてもらいながら、失敗しながら、笑われながら。

現場には、派遣の人もいる、準社員みたいな人、おじいちゃん、いろんな人がいるんだよな。

公共工事が悪者扱いされていた時代があった。談合や贈収賄など、マスコミにロックオンされ日常茶飯事のように発覚し、無駄な公共事業、税金の無駄使いなどと言われていた最低の時代だっただ。コンクリートから人へとかね。

そんな時代から熊本では平成24年九州北部豪雨、平成28年熊本地震。連日連夜不眠不休で災害復旧に従事し、雇用の受け皿としても地域をサポートし続けています。

地場の建設コンサルタントに勤め、測量部門、設計部門を経て独立、工事屋さんで勉強させてもらって、施工部門でも面白さを見出している最中です。今年の目標は「ブログ365」来年は1級施工管理技士に挑戦しようかなという鬼も大笑いするお話でした。

月ベースでは、1/12 達成率8.3% ようやくひと月書き終えました。「あー飲みいきてぇー」

2018年1月30日火曜日

ワインとチーズ

なんにでもチースを入れればいいってもんじゃないと思うのだが。(チーズがきらいなわけじゃないんだよ)


最初の1,2コは美味しかったが残りが段々と辛くなる。チーズはチーズで別に食べたい派なのです。

そんなことを書いていると無性にワインが飲みたい、チーズが食いたいという衝動、多分チーズが導火線だ。これは3年に一度くらいの起こる衝動だ。こうなると連動してワインバー Bon moment が頭に浮かぶ。

カウンターに立つのはオーナーでソムリエの鶴田知佐さん。
わたしのワインの知識というと、赤と白の2種類があるってことと、知っているワインのはメルシャンワイン?とボジョレー?まっ、その程度。そんなわたしでも、お任せで勧められたワインを飲めば「あ、これウマ」と言えてしまう。そしてチーズを頼めば見たこともない斑なチーズや、嗅いだこともない匂いのチーズが出た来たりするが、こいつらも当然間違いない。

あー行きたくなった。ワインバー Bon moment 

2018年1月29日月曜日

反省は大事

ネットの中には、欲しい情報、都合のいい情報をすぐさま検索できる。半面、意に反する情報、不都合な情報も同じくである。

52歳初老の大脳新皮質に柔軟性はなく、すでに硬直しており、特定の外部要素しか受け付けないということをこの2日間のブログを書くということであらためて認識した。「批判的思考が止まらない」ってやつだった。

ブログを書き進めているとある一定のベクトルが定まってくる。その方向が昨日は「批判的」な方向に作用し続けた。途中立ち止まり批判ではなく同意できる部分を書こうとしても勢いづいている批判のベクトルはことごとくそれを跳ね除けていく。こうなってくるととりあえず終止符をうつしかなかった。

なぜこんな情態に陥るのかという疑問を解くのは意外とあっさりとだった。

ブログを書くわたしの目の前には誰もいないことに気付けば説明がつく。モニターにはわたしの思考から書き出された文字が繋がり、行を重ねていく、繋げ重ねていく材料はネットに転がっているので事欠ことなく思考は登りつめていく。
マスターベーションだったようだ(笑

そしてこんな言葉が頭に浮かぶ。

寺山修司の「書を捨てて町に出よう」である。さらに「書を捨てずに町に出よう」、ついでに「パソコンも捨てずに町に出よう」と浅草のオヤジは言う。

2018年1月28日日曜日

批判的思考が止まらない 熊本市議会議員 緒方夕佳 市議が乳児を連れ議場に入場した件

27日(土)熊本県民テレビの番組「現場発!私は、ママの議員です。〜子育てと政治参加のはざまで」放送を観た。

熊本市議会議員 緒方夕佳 市議が乳児を連れ議場に入場したことが事の発端のようだ。

想像してみよう。乳児連れで外食する際には事前に店へ電話で確認するのではないでしょうか。それで断られたら仕方ないことだと諦めるのが店に対して、またそこで食事をしている人たちに対する礼儀だ。

彼女のとった行動を例えれば、事前に店に相談しても断られたので、当日乳児を連れて店へ押しかけテーブルに着いた。そこへフロアー責任者が来て退店を促しても居座る。他の席で食事を楽しんでいる他の客はいい迷惑、挙句の果ては子供を店外に預け自分は食事を済ませ店を後にしたという状況だ。しかもその後、子供連れの客のために託児室を設け、ベビーシッターによる子供の世話を当然の店側の義務であるかのごとく要求しているというのが一連の行動だ。

彼女の目的は「女性議員として働くための環境整備への問題提起」だったのだろうが、彼女の問題解決の手法だと、自身が主張している市民の代弁者・代表者しての役目は果たせてはいない。市民の代弁者・代表者して変えていかなければ環境は山ほどあるのだが、今回彼女の行動は自身の立場・境遇を盾に駄々を捏ね我儘を通し、ある意味脅迫めいた訴えで得た一過性の狭義の「容認」でしかない。
この手続きを無視した手法は最終手段であったことは彼女も認めるところだろうが、最終手段は最終手段であり他の事案のケーススタディには成り得ない。運営と協議を尽くし成し得た成果でもなく、ましてや議会で議論され他のケースにも運用可能な制度として制定されたわけでもない。そいいう意味で一過性の狭義の「容認」でしかないのだ。根本は何も変わっていない。

援助を必要としながらもシングルマザーのお母さん達は自ら問題を解決し職を探し、日々子供の突発的な病気の不安と背中合わせで周囲の協力を得ながら就業している。早退や欠勤が続けば職場への気まずさも募るだろう。何かを得るには何かを犠牲にせざるおえない覚悟を余儀なくされる場面に幾度となく遭遇しながらも生活の糧をみいだしていかなければならないのだろう。彼女たちが望んでいることは、職場に子供と同伴することではなく、安心して子供を預けて仕事ができる環境、子供の病気等で会社を早退や休みが気兼ねなく取れる環境の整備だと思います。



※今回の放送とこの動画は異なりますが、概要は分かると思います。

彼女の行動に対して批判的な文面に終始したが、議場施設内に託児施設として一部屋または部屋の一部を開放してもらうことがこんなにも大袈裟な展開にしなければいけなかったことのだろうか。事実この出来事後はちゃんと託児所書もシッターも希望通りの結果になっているということは、アプローチの仕方がお粗末だったとしか言いようがない。

批判的な文章が次から次へと止まらない。このあたりでやめておきます。

2018年1月27日土曜日

備忘録

グローバル化の問題

グローバル化とは人物金の流れが国境を超える。
経済活動が経済圏で自由になる。
国家主権では制御できなくなる。
民主国家での国家主権とは何か
国民主権である
すなわち民主主義
民主主義の限界
グローバリゼーションは民主主義的ではない反民主主義的
民主主義国家 アメリカ イギリス フランス グローバリズムか反グローバリズムか国内政治の混乱

グローバリズム国境を越え世界的な競争を激化する(弱肉強食)

弱い産業(中小企業)は衰退

グローバル経済は労働賃金が安い方が強い

先進国にも賃金が下がるという圧力がかかる

中小企業が潰れる、賃金が下がる→貧乏になる→景気悪化→較差が開く→安い労働力の流入(移民)→異文化のコミュニティーが形成される→治安の悪化

経済の悪化 治安の悪化  政治の悪化

グローバル経済により突出した経済発展を遂げる国の出現

地政学的に不安定

地球温暖化とTTPには今でも懐疑的です。世界的潮流には流れを起こして得する人達がいる。得をする人がいれば貧乏くじを引く人もいる。その弊害だ格差社会だとおもうし、子供の貧困だとおもう。
近年の株価上昇で企業の内部留保2倍、株主配当は5倍に増える一方、給与所得は横ばい。

グローバル化の波が押し寄せ早20年、その結果が今の日本である。
地球温暖化が原因だと言い張る世界的寒波、夜の街にも寒波は吹き荒れる。

地産地消という言葉が好きです。お裾分けは身近な地産地消。繋がりがあり、笑顔があり、季節があり、おいしさがある。すっぱかったり、苦かったり、あまかったり。それは慎ましいってやつかもしれません。原風景です。

Facebookには蕗の薹が顔を出していました。大寒も過ぎ春はすぐそこ。もう一息。

2018年1月26日金曜日

赤い文字はダメ!なの?

「赤字」経理上この熟語を好きな人はいないだろうと思うんですが、それだけではなく日常目にするもので赤い文字で書かれた文字には違和感を感じるはわたしだけなのでしょうか。

赤い文字で書いたことを最初に指摘されたのは爺ちゃんだっつた。中学生の時「今日は遅くなるから晩御飯はいらない」と何気なく手近にあった赤鉛筆で婆ちゃん宛てのメモ書きを残して家を出たのはいいが、翌朝朝ごはんの時に爺ちゃんから「字は赤で書くな、縁起でもない」と言われた。
30代の頃、デイトレをやっていた時にも「トレーダは赤いモノを嫌うので、赤い文字で書かれた文字なんかは厳禁なんですよと」と証券会社の人から雑談で聞いたことがある。

そんなことがトラウマなのか、今でも赤い文字に違和感を覚えるのです。この違和感は一度検証しなくてはいけないな。

そんな時には ok google.

明確に「赤い文字はダメ」って記事は見つかりませんでしたが、赤文字と黒文字とでは生理的・心理的な意味合いが異なること、赤いモノは異常、危険などを知らせる社会心理学的な意味合い、あとは社会慣習上のというのが検索結果だった。
戦争体験のある方に関しては赤い文字ではないものの「赤紙」を連想するなどという記事もありました。

東京都公文規程施行細目によると、公文書作成に用いる用紙、公文の表記手段等として
表記手段
原則として、黒色、赤色若しくは青色のインクを用いてのペン若しくはボールペンによる手書き、パーソナルコンピュータによる印字、印刷又は複写とする。

となっている。

結果、赤い文字で書くことは特に問題はないが、日本では社会慣習上、何かしらの意味合いを込めて赤文字で書く以外は、安易に使わない方がよいと理解した。

常識なんてやつに翻弄されないためにも、自分なりに常識を検証してみないとね。

2018年1月25日木曜日

10000PV

2016/02/01 このブログはこの写真から始まった。


非公開の個人的な日記ではなく web log ブログを書いている以上、書いたものを誰かに見てもらいたいという気持ちがあるわけで、だからわざわざSNS等で「ブログ更新しました」なんてアナウンスをしてたりしているのです。

たいしたことも書いていないのに”ねぇ、みてみて”的なものには、他人様の時間を無駄に拝借してしまうのではないかという後ろめたさもあり、裏腹にはなりますが誰かが見てくれているということはこの上ない励みにもなるのです。
インスタの”いいね”と同じ構造なのでしょうね(インスタやってませんが)

わたしが使っているブログシステムは日本ではマイナーなgoogleのBloggerです。理由は広告が一切載らないこと、この一点でだけで決めました。
そしてこのBloggerにもアクセス解析のような機能が備わっています。

2016/02/01から使い始めたこのブログの全期間ページビュー歴が今朝10000を超えていました。アクセスの多い少ないは別として、これってちょっとばかしうれしいんですよね。そしてこれを励みに明日も書きます。365/365を目指して。

2018年1月24日水曜日

熊本の甘味を福島へ

妹からのLINEで美味しいモノ送ってとのこと。その妹が何番目の妹かよくわからないのだが、3番目か4番目の妹というのは間違いないとおもう。

それよりも、おいしいモノ送れと言われても馬肉や辛子蓮根を送るわけにもいかず(LINEの内容っぉから甘味系を御所望の雰囲気)google先生にたずねてみたが、いきなり団子や蜂来饅頭などが先生の押しのようだがイマイチ。
暇になってら送るからとは言ったものの困ったものだ。しかも調子に乗って住所まで聞いてしまった。
更にLINEに書き込んであった住所をみて驚いた。福島第一原発から10キロ圏内だったのだ。波乱万丈な妹だけにそれもありだろうと妙に納得。

熊本地震の時には福島の皆さんからたくさんのご支援を頂いている。送るものが決まったら、近所さんにお裾分けできるくらいに少し多めに送ろうとおもう。

楽しみに待ってろ。まっ、暇になるのは当分先だけどね(^^;)

2018年1月23日火曜日

寒いので家には帰らない

24:30他社にて作業終了。19時頃に夕食は頂いたものの当然腹は減っている。解散後一人ジョイフルに向かうのだ。


目的は肉。使い過ぎた頭にミートチャージ。2枚食いたいところだが1枚で勘弁してやる。

そして思い出す。ヒーターの灯油が残りわずかだったことを。多分1時間もすれば燃料切れである。

ということで今夜はネットカフェで過ごすことにした。ゆえに更新はネカフェからである。明日までは内業なのでここで夜更かしをする。(本音は単車で帰るには家は遠く寒すぎる)

俗に言う枕が変わると寝れないとか、そういうデリケートな部分は高3の時にチャリンコで九州一周した時に捨て去り、専学の夏には250㏄で北海道を巡り日本一周、ありとあらゆる所で野宿をしたおかげで、横になりさえすれば寝れる体質になっている。

旅で感じることはたくさんある。困り果て途方に暮れている時に手をさしのてくれる人の優しさ。大抵のことは生きてさえいればどうにかなる。そんなことを若造の頃に体感できたことが良かったものか悪かったのかは定かではないが(わたしの場合悪い方に作用しているようだが)、肥やしになっているのはいるのは確かなことだ。

”かわいい子には旅をさせろ”とはよく言ったものだ。ただし旅行をさせろではない。旅をさせろなのである。

そもそも旅と旅行は違うのかという疑問はわたしの中では経験上解決済である。

旅行とは各所行先を決め点と点を各々楽しむことを旅行。
旅(たび)の語源は”たどる日”ともされている。家を出て一日一日を繋げ日々の出来事を受け入れ感じること、結果(答え)が必要ではないのが旅。

フクごめん今宵は玄関で寝ておくれ。

2018年1月22日月曜日

芋羊羹におもう日本的な黄金比

Facebookにアップしてあった羊羹の画像がとても品があって良かった。
https://www.facebook.com/naoko.miyakawa.9/posts/1530252487052840?pnref=story



これは船和浅草本店の芋羊羹だそうだ。http://funawa.jp/shop/

この画像を見て品が良いと思うからには、そこには何かがあるはずである。例えば黄金比のようなものが。

そこでちょっと調べてみた。日本の代表的な四角いものといえば畳でしょうね。でもこの畳にもいろいろとサイズがあり、京間・本間6尺3寸×3尺1寸5分(191cm×95.5cm)江戸間、現代に至っては、団地間。これらは寸法こそ違えども、縦横の比率は1:2である。

次に思いついたのがまな板。これも用途によりいろいろなサイズがあるものの、伝統的な寸法として360mm×180mmとなり、これも縦横の比率は1:2であった。

偶然は続くものだ、では羊羹の比率はというと残念なことに1:3であった。日本的な黄金比が1:2と仮定すれば、この羊羹も同じ比率であるだろうという推測は外れていた。



外れていたからこそ面白い。ではなぜ、1:2ではなく1:3なのかということになるのだが、芋羊羹だけでは信憑性に欠けるので、船和さんの他の羊羹をみてみた。



ちゃんとありました1:2の比率の羊羹。こうなると更に疑問がわいてくる。1:2、1:3と統一性に欠けるではないのかという疑問だ。一般に黄金比といえば近似値1:1.618、約5:8の比率と中途半端な縦横の比率となっている。それに対して日本の比率は縦1に対して横は整数Xでありキリが良い。縦を1とすると横は各々2と3にきれいに分けることができるということだ。

羊羹の起源は鎌倉~室町時代とされているようだが、今の主流である羊羹は江戸時代後期になってからだそうだ。江戸時代後期といえば寒冷による飢饉が人々を苦しめたといわれる。そんな中で羊羹などのお菓子は贅沢品であったのは間違いないだろう。そんな贅沢な品を食べるにあたり当然家族で分け合うわけだ。その分け合う過程で1:2や1:3は2等分と3等分である。目分量でも分けやすい。子供達に大小の違和感を与えることなく公平に分け与えることができる。子供達が食べ物の大小を見比べるという行儀の悪さがないように、それによって兄妹喧嘩などという不躾を未然に防ぐ、すなわち家族内の和を乱さない比率でもあったのだろう。代表的な和菓子の餅や饅頭も円であり半分にも4等分にも分けやすい和である。

Facebookにアップしてあった羊羹の画像を見て品が良いと思ったのは、潜在的に「和」を感じることができたからなのかもしれない。

2月の浅草には行けないが、9月の暑気払いには参加して船和浅草本店の芋羊羹を食いたいものだ。

2018年1月21日日曜日

「頑張」について

51歳になって数日経ったが、これといった変化は見られない。当然である。

それでも今日一つ気付いたことがある。「頑張」って言葉を最近よく使っている。頑張って言われるのも言うのも密かに好きではなかったのだ。無責任な言葉だと思っていた。腹が立つこともあった。

そんな「頑張」を今年になってから3,4回使っている。これもブログを毎日更新すると決めたからなので理由は明快だある。

「頑張」とはどんな様を表しているのだろうか。「頑」とは他人にかまわず自分の思い込みを保つ態度ださそうだ。”思い込み”とは言葉が少々悪いような気がするが、その思い込みを”張”はる。ひっぱる。はりわたす。ということになる。

そうか、頑張ということは思い込みを張り通すこととなる。思い込みが良い思い込みであろうと、悪い思い込みであろうと、関係ないのだ、思い込みだからね。

「小中学校の頃は部活で練習中は水も飲まずに頑張った」”水も飲まずに”という現在では非常識な思い込みを信じて頑張らなくていいことを頑なに頑張っていたのだ。でも、それでもよかった。ある意味素直だったのだろう、そして「頑張」を鵜呑みにする体力があったのだ。

そんな少年時代が過ぎ、青年時代になると世の中の疑問が見えてくる。見えてくるが解決策、解決するだけの能力が伴わず、「頑張」を怪訝に扱う。

壮年期になると世間の仕組みが見え、妙に物分かりが良くなり「頑張」から遠ざかる。

そして50を過ぎた今、「頑張」って言葉がサラサラっと言えていることに気付いた。老体と言うまでには程遠いが、体力の衰えは否めない。体力に自信のあった頃の感覚と記憶が消えうせず、それでいて衰えは自覚するという微妙な感覚のオーバーラップから解放されたのだ。やっと脳が認めたのだろう。熟した体を自らを励ましながら進んでいかなくてはいけない年齢に達したといことを。

自分へ言えるようになった「頑張」を、お隣さんにも言えるかもしれない。言っていいのかもしれない、恥ずかしいから言えないだろうな(笑



2018年1月20日土曜日

フクの幸せ

今日は一日中家に居た。

傍らではフクが一日中寝ていた。ヒーターを点けているので喉が渇くのだろう。たまに起きては二階の部屋から玄関まで降りていき水を飲んだら戻ってきて寝る。

夢をみているのだろうか寝言を言いながら尻尾を振り、いびきをかき、薄ら起きてはたまに目が合う。そんなときふと思う。

フクは幸せなのだろうか?こんな問いに

あなたが幸せならわたしも幸せなんですよ。とフクは答えるんじゃないかな。

40年近く犬を飼い続けているとそんな気がしてくる。

2018年1月19日金曜日

電子レンジ系弁当にはないホカホカ感、ホッとする感じを再確認

いろんな便利なものが集まっているコンビニは便利の集合体であり、その集合体の中でも群を抜いて活躍しているのが電子レンジだ。お昼時、レジに並ぶ行列から繰り出されてくる弁当等を次々と捌いていく使われ様は酷使以外のなにものでもないが、これに耐える耐久性と高出力、高性能は進化し続けていくのだろう。

わたしはほぼ毎日コンビニのレンジで温められて弁当を食べているが、一つだけ違和感がある。レンジで温められたご飯のアツアツ度が半端ないことである。個人差はあるのだろうがフウフウして冷ましながら食べないといけないレベルである。
そして何よりの違和感は、炊き立てのご飯と比べると熱がご飯の中心部にこもっているような気がすることである。この熱冷ますためにフウフウしなければいけないのだ。

前置きが長くなったが、先日夜の作業が長引いたのでほか弁(ほか弁がほっかほっか亭のものか、ほっともっとの弁当なのかは気にしていなかったので未確認)の差し入れを頂いて気付いたのだ。

ほか弁はホカホカ、コンビニはアツアツだということに。

ほか弁を食べるのは久しぶりであった。作りたての弁当が売りのほか弁はコンビニと比べ待ち時間が長いこと、店舗数が少ないことから限られた時間で昼飯を済ませるにはアツアツ弁当に違和感を覚えながらもコンビニ弁当を選択せざるおえなかったので、ほか弁のホカホカ感にはホッとするものがあった。

「ほっかほっかの亭」ホカホカ感、「ほっともっと」のホッとする感じ、なるほどね。

電子レンジに頼らない”ほか弁系”の弁当屋共に社名の由来がどうなのかははわからないが、なんだかわかったような気がした。

2018年1月18日木曜日

測量屋的51歳

51歳になりました。
地球が太陽を51周したことになります。51周お疲れ様です。

もともと円が360度という60進法を使っているのも、大昔地球が太陽の周りを360日かけて一周すると考えられ、地球が太陽を中心に一日に移動する角度が1度となり一日となったわけでして、測量屋はこの”1度”をさらに1/60分割し”1分”とし、その1分をさらに1/60分割して”1秒”となり、”1度”を合計1/3600に分割した角度を用いて測量をしています。
小学生の時に使っていた180度の分度器に目盛りが648000目盛り刻まれている計算になります。(そんな分度器は見たことがありませんが)

そんな微小な刻みの連続で1日は動いているわけで、この刻みが重なり合う人と人が出会うというものは意図的ではないかぎり、途方もない偶然としか言いようがありません。
その途方もない偶然の産物として、誕生日にたくさんの祝いのメッセージを頂きありがとうございました。

メッセージ確認が夜中になり、返信をそれから行ったので眠りの最中メッセージの着信音が迷惑にならないかと考えつつも返信させていただきました。

今年も一年、51歳のわたしをよろしくお願いいたします。

2018年1月17日水曜日

51歳の誕生日

Facebook等で、お祝いのメッセージありがとうございました。

お礼のメッセージを書き込んでいたらけっこうな夜更かしとなったので今日のブログはここまで。

2018年1月16日火曜日

わたしの嫌いな言葉は”効率化”

16日の24時過ぎ、街へ出ていきたいが雨が降り出した。

明日は週の半ばだが休みの日である。だから夜更かしができるのだが、またしてもブログとの格闘に大好きな夜更かしの時間を費やしている。

いくら時間を費やしても書けない時には書けないもので、容赦なく時間だけが過ぎていく。

そんな時気分転換にギターに手が伸びる。
新たに練習曲を追加した。


てか、目覚ましが鳴った。AM 5:55 無駄に夜更かしをしてしまった。

そうそう、無駄の”駄”って値うちのないもの、つまらないもの、粗悪なものなどの意する漢字なのだが、”無駄”って熟語は値打ちのないものは無いんだよって教えてくれてる漢字のような気もする。

わたしの嫌いな言葉は”効率化”(笑

2018年1月15日月曜日

爆発の備忘録

めずらしく規則正しい生活をしていると、爆発してしまう。

ということで土曜日に爆発しました。自分を制御不能。後悔してしまいましたが、後の祭り、後悔役立たずです。51歳を目前に、まぁ二度と”あんなこと”はしないだろうし、できないと思います。

”あんなこと”とは、とてもブログに書けるような内容ではなので書きません。ご想像にお任せしますが、多分ご想像通りだと思います。

勿体を付けている訳ではありません。備忘録として書き留めておくのです。いつの日かブログを読み返す時、ニヤニヤと気持ち悪い思い出しニヤケするためです。

2018年1月14日日曜日

飯を食おう

良い日もあれば悪い日もある。

今日が良い日だったら、ちょっと贅沢をして飯を食おう。美味しいものを食べてぐっすり眠ろう。

今日が悪い日だったら、おなか一杯飯を食おう。腹一杯になってぐっすり眠ろう。

今日が平凡な日だったら、感謝して飯を食おう。明日のためにしっかり食べてぐっすり眠ろう。

悪い日もあれば良い日もある。

2018年1月13日土曜日

ステルス爆撃にあいジョイフルで一服

昨夜は灯油缶にわずかに残っていた灯油で凍えることなく一夜を過ごすことができた。

一難去ってまた一難。
昨日の昼頃、予備タンに切り替えていたことをすっかり忘れていて、随分と走ったのでタンクの中にはガソリンがスズメの涙ほどなのだろう。

明日朝から近所のスタンドで給油すればいいや。なんてことを考えていた昨夜であるが、夜が明け現場へ向かう途中にスタンド寄る。

兄ちゃんにレギュラー満タンと告げ、燃料タンクの鍵穴にキーを入れようとしても入らない。暫し色々と試したがどうにも差し込めない。

兄ちゃん曰く「やられましたね、ステルス」

ステルス?
鍵穴に悪戯されていたら、給油するときにしか気付かない。いつどこで悪戯されたかわからない、質の悪い悪戯だそうだ。

状況は把握できた。わたしの力ではどうしようもないのだから後は単車や任せるしかない。

今日の作業を見合わせる連絡を入れ、取りあえず単車屋方面へ行けるところまで行くことにした。

単車屋が開くのは10時頃、現在7:40 外は寒い、お日様がんばれ。 ということで、ジョイフルで一服。


ブログのネタに丁度いいのでここで更新を済ませよう。

2018年1月12日金曜日

寒波

室内温度13度で燃料切れ。町のスタンドはとっくに閉店。エアコン壊れてるし。
考えてみれば単車の燃料も予備タン状態。

とりあえず水道管の破裂だけは避けたいので、チョロチョロと蛇口をひねった。

今夜の最低気温‐4℃。すでに部屋の中の息は白い。

とりあえず今日の更新はこれまで。

2018年1月11日木曜日

10日目の弱音

毎日眠い。理由はブログのせいだ。

測量屋は数字相手の職業である。数字には自由はない。数字をいじったら改ざんになる。

文章には拘束がない。拘束のない自由を文字で表現するのは大変な作業だ。

写真をブログに貼りつけると、イメージを伝えるのが楽だ。画像の威力はすごい、ブログに貼る一般的な写真のデータ量を100㎅だとし、これを文字換算すると400字詰め原稿用紙128枚分の文字でイメージを伝えたことになる。写真ってやっぱりすごいんだよな。

そして写真に添えられる一言が素晴らしければ完璧だ。

持ち歩くのがめんどくさくなって放置しているカメラをもう一度持ち歩こうかと思う。

そんなことを思い起させるほどに書くってやつは大変でわたしから睡眠時間を奪っているのだ。

宣言から10日の弱音である。FacebookにはUPしない。弱音はここだけにとどめる。

2018年1月10日水曜日

朝から腹が立つ

1月10日、夜にかけて雪が積もる。

最近寝不足が続いている。明日は丸1日空きができたので明日の朝はゆっくりできそうだなと思いつつ、いつのまにか就寝していた。

二度寝防止のため、フクに目覚ましが鳴ったらわたしを起こすようにお願いしている。物覚えいいフクはすぐにマスターできたようだ。

生暖かいモノがわたしの唇を舐めまわしている。寝ぼけながら起こしてくれたフクにお礼を言うが、昨晩目覚ましをOFFにしていなかったことを後悔なのだ。
目覚ましはAM5:55今日も一日GOGOGOにセットしてある。ここで二度寝したのでは、せっかくマスターしてくれたことを惑わすことになるので仕方ない、起きるしかない。

ご褒美のおやつをあげようと思ったときに違和感???
目覚まし鳴ってないよね。
壁の時計に目をやると針は5:48分。ちょっとばかり腹が立ってきた。ゆっくりできるはずの朝、ご褒美のおやつ欲しさにフクのやつ目覚ましが鳴る前に起しやがったのだ。

フクはお座りして尻尾ブンブン目キラキラおやつスタンバイ。

腹立たしさ追い打ちをかけるようにAM5:55目覚ましが鳴りだした。

これでもおやつを上げなければいけないのだろうかと自問自答の朝であった。

2018年1月9日火曜日

野郎飯万歳

今日は帰宅が遅くなったので、来来亭浜線バイパス店で食事を済ませて帰る。ここに通いだして2年くらい、通算50回以上は食事をしていると思う。

注文するメニューは毎回必ず決まっている。豚キムチ(単品)、ご飯(大)、ご飯(小)、この3品、これにお店のご厚意で、スープをサービスしてくれるのだ。

ご飯(大)、ご飯(小)を同時にもってきてくれという変な注文の仕方に、通い始めて日が浅いころは注文する度に???の店員さん達であったが、最近ではすんなりと注文も通り、疑問符もとれたようだ。

来来亭での食事は以前ブログに書いているのだが、なぜ改めて来来亭かというと、今日注文したの豚キムチの出来が素晴らしかったのだ。

そのことはテーブルに届けられた皿を見た瞬間にピンときた。
豚肉一枚一枚の形にバラつきがない。切り落としのような肉片が見当たらず、豚肉一枚一枚がキムチを挿むことにより、ふっくら感を出しながら重なり合い盛られている。
スライスされた肉は脂身7割肉2割の感じだ。脂身の甘トロさが好きなわたしにとっては嬉しい比率なのだが、うまく調理しないと脂でべっとした切れの悪いものに仕上がってしまうのだが、その感がなく脂の処理が絶妙だった。白菜のシャキシャキな歯触りも損なわれていない。
同し来来亭でも、調理する人によって上手い下手が判れるところなのだ。
今日の豚キムチは今までの中で一番の出来であった。ちょっとした手間や心使いが重なり合うと、こうも出来上がりに違いがあるものかと感心し愛を感じた程だった。

わたしが来来亭で食う豚キムチは御飯の御数ではなく、ご飯の友的な存在である。
目移りする御数に惑わされることなく、好きなご飯の友で飯粒を食うことに集中し腹いっぱいに腹を満たす。これぞ野郎飯。

野郎飯万歳なのである。

2018年1月8日月曜日

「嫌いではない」というめんどくさい表現

ここはファミレスのジョイフル、早朝であろうと深夜であろうと24時間年がら年中、食いたいときに肉が食えるという店なのだ(ジョイフルでステーキが食えるなんて最近まで知らなかった)

この肉は大晦日に一度、年が明けてからは二度目であり、かなりの頻度で食っている。とにかく肉が食いたいと思い立った時に、手っ取り早く欲求を満たすにはジョイフルはありがたい存在なのだ。
早い、安い、旨いの三拍子、「早い」は手っ取り早く食える、「安い」は230gのステーキ+大盛ご飯で千円以下とここまでは素晴らしいのだが、「旨い」はどうなのかということである。前置きが長くなったがここからが本題。

めんどくさいことを言うやつがいる。好きか嫌いかをたずねた時に「嫌いじゃない」というめんどくさい答えを返してくるやつだ。本音なのだろうから責めるわけにもいけない。

では、この「嫌いではない」という答えをどう受け止めるかである。分類すると、

大好き>好き>嫌いじゃない>好きでも嫌いでもない>好きではない>嫌い>大嫌い

大好きを100点、中間点を50点、大嫌いを0点とすると

大好き100点
好き85点
嫌いではない65点
好きでも嫌いでもない50点
好きではない35点
嫌い15点
大嫌い0点
※50±(50/3)X
大まか上記の表となるわけだ。

好きとはいかないまでも、嫌いでもない、テストの点数で言えば65点というヤツだ。褒められた点数でもなければ、怒られるような点数でもない。感情を表に出さない、へらへらと笑っているような点数なのだ。

ではこの65点の評価を下した相手が恋愛対象になるかどうかである。
結論から言うと、恋愛対象にはならない。
なぜならば、相手が「嫌いじゃない」と表現した時点で対象者に対するリスペクトがなく発言が上からなのだ。今の時点では残念としか言いようがない。どんまい。

さて、横道の逸れたがジョイフルのステーキは味はどうなのか?

美味しと、不味いわけでもないの中間。「嫌いじゃない」よりももっとめんどくさい70点なのだが、この点数は良い友達になれる点数のだ。

2018年1月7日日曜日

勉強させてもらってお金がもらえる

毎年のことだが1月2月は仕事の谷間となり、3月年度末になって一気に忙しくなるというサイクルを続いてきた。

そんな測量屋とは反して、熊本地震の影響で建設業は慢性的な人手不足のようである。

構図しては暇な測量屋、人手不足な工事屋となり、「大村、暇なら手伝え」となるわけだ。
仕事を発注しいただいている工事屋の社長からそう言ってもらえれば願ったり叶ったりなのだ。

仕事の内容としては、測量、図面作成、数量算出、諸計算、丁張、当然だが、砕石を均したり、資材を運んだり、手元が主であるが、行程毎の作業と検査の受け方、写真の撮り方、役所との折衝等、実際の現場が体験できとても貴重な勉強となり、わたしの仕事の幅も広がる。

何より素晴らしいのは勉強させてもらって、なおかつお金がもらえるのということである。

料理教室、英会話教室、生花教室、教えてもらうには全てお金がかかる時代に、仕事に直結する勉強がお金をもらいながらできるのだ。

素晴らしい。

2018年1月6日土曜日

仕事始め

寝坊した。言い訳したくないほど心地良くストーンと二度目の快楽に落ちたようだ。(ようするに二度寝)

フクが起してくれたのは7:20分、諦めて一服。それどころではない諦めから我に返ってドタバタと家を出る。神社へお参りどころでもない。

当然50分遅刻。単車を停めて急いで現場へ。

雨で道はグダグダ。長靴を持って出るのを忘れ、磨いたばかりの靴もこの有り様。




現場に着いたが人の気配なく誰もいない。嫌な予感だ。携帯を見ると着信3件。単車に乗っているとバイブにしていても気付かないのだ。

そうち留守電が一件。「雨が強くなってきたので今日は中止にするそうです。それじゃ、お疲れ様です」

罪が軽くなったような、ホッとした。

今日のブログはこの辺りでおしまい。寝る。

2018年1月5日金曜日

験を担ぎ(げんをかつぎ)

師走30日に休みに入り6日経ち、不規則、夜更かし、暴飲暴食は去年と何ら変わらずなわけで、すでに曜日の感覚はなくなっている。

そんな正月休みの中、元旦を迎えて三晩を過ごしたのだが夢を見ていない。何日の夜に見た夢が初夢なのかは時代とともに変わり諸説の解釈があるようだが、わたしは新年を迎えて以降最初に見た夢を初夢としているので今も初夢継続中であるのだが考えてみると、今まで見てきた初夢を覚えているかというと全く覚えていない。まあ、初詣で引いた御神籤の運勢を覚えていないのと同じようなものだろう。

書初め、初詣、御神籤、初夢は伝統的な験を担ぎ(げんをかつぎ)、新年を迎えて縁起の良い吉兆を楽しむ。たとえ大凶を引いたとしても、これ以上悪くなることもなかろうと笑い飛ばし、市場ではご祝儀相場、築地最後の鮪は億越え予想、いいよねこの雰囲気。明るいニュース。
今日は4日、そろそろ景気の良い初夢と行きたいものだ。

えっ、もう4日。明日から、、、仕事なのだった。
初夢をみぬまま正月気分は一気に覚めた。

毎年のことだが現場の前にお参りをしていく。当然御神籤を引く、来い大吉。

2018年1月4日木曜日

なぜブログを書くのか

そういう質問を過去に何度か受けたこともあったが、理由なんてものは永遠ではない。だが、きっかけがあって今があるのは確かなことだ。

1998年頃からブログを書き始めている。もう20年だ。昔のブログは何処ぞへ消えてしまった。いま有るのはBloggerのlogだけである。そんなことはどうでもいいが、悔しいことが一つある。

一年間通してブログを更新し続けられたことがないということだ。毎年今年からはと思うのだが、どこかで途切れてしまう。そのことも受け入れて「書けるときに書けばいいや」なんて意思を甘やかしながら書いてはいるのだが、悔しいんだろうな、一年も続かないことが。

だから今年はリアルで宣言した。ペナルティも設けた。今日は4/365達成である。達成率1%である。
写真一枚でも、一言でもUPしていくのだ。

そうか、悔しいんだ。これがいまの理由なんだな。

2018年1月3日水曜日

2017ラスト階段

バックバーの柱に掛けられた懐中時計は午前八時。歌を歌い、音楽を聴き、酒を飲み明かした2017の大晦日前夜。


降る階段もあれば昇る階段もある。途中疲れたら腰掛ければいい。追い抜かれても気にすることじゃない。階段の先が青空なのか闇夜なのかは知ったことじゃないが、そこがどこでもあなたがご機嫌なアホでいられる場所であることを願っています。

今日の階段はまぶしかった。


青いお城へつながる階段は昇天への階段なのだが、、、ぅ想像してしまったじゃないか。

気持ち悪ぅ。

2018年1月2日火曜日

初詣 御神籤をひく

運勢は末吉ではあるが書いてある内容が良い。

御神籤をひと通り読んで2月に○高出産をひかえている女性のことを思いだしてうれしくなったのだ。


わたしが出産するわけではないのだが、御神籤によると
出産:「さしさわりなし 安産」 とのこと。
なんだかうれしいじゃないですか。出産は母子共に健康が一番。良き出産を願っています。

2018年1月1日月曜日

宣言

明けましておめでとうございます。本年もよろしくお願い致します。

大晦日から元旦にかけて忘年会と新年会を兼ねた飲み会に誘ってもらっていること三年目である。

いい大人達が大晦日から元旦にかけて家に居ることなく、よそ様の家で飲んで食っているのだから、まっとうではないのだが、皆で紅白を観ながら年越蕎麦をすすり、来る新年を祝うのだから、それはそれでまっとうなのである。

そんな会で毎年楽しみにしているのが鴨鍋である。兎にも角にも、この鴨鍋は旨いの一言に尽きる。鴨の旨味が出尽くした出し汁で年越し蕎麦を頂くという贅沢な趣向は素晴らしい。


そしてこの場で今年の抱負などを述べるのだが、わたしはブログの更新を毎日やると宣言した。このことは十数年挑んでいることなのだが、まだ一度たりとも実現したことがないのだが諦めずにやってみるのだ。

この会に誘ってもらっているお陰で、ぼっち大晦日を過ごすことなく、元旦早々から孤独感を味わうこともない(笑

今年は戌年、キャンキャンと吠えることなく大らかな気持ちで過ごせる年にしたいものです。